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イタリアの建築物2018年版!見ておきたい歴史的有名建築物10選

2024.02.25

イタリア旅行の目的に建築を学ぶことをあげる人も多くいます。特に建築学科の学生でなくともイタリアの有名な建築を見て感性を磨くとことをねらいにしても良いと思います。さらにその歴史を学ぶことで、その建築が生まれた背景を知ることも興味深い知識となるでしょう。

  1. イタリア建築10選の概要
  2. 見ておきたいイタリア建築1ミラノ大聖堂
  3. 見ておきたいイタリア建築2ミラノのガッレリア
  4. 見ておきたいイタリア建築3フィレンツェのサンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂
  5. 見ておきたいイタリア建築4ローマのコロッセオ
  6. 見ておきたいイタリア建築5ローマのフォロ・ロマーノ
  7. 見ておきたいイタリア建築6ローマのポルタ・ピア
  8. 見ておきたいイタリア建築7バチカン市国(ローマ)のサン・ピエトロ大聖堂
  9. 見ておきたいイタリア建築8ヴェネツィアのサンマルコ大聖堂
  10. 見ておきたいイタリア建築9ヴェネツィアのプラタ・デラ・ドガーナby安藤忠雄
  11. 見ておきたいイタリア建築10南イタリアのマテーラの奇観
  12. 見ておきたいイタリア建築まとめ
イタリア建築10選は有名で歴史のある建物を選びました。場所はローマ、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、そして南イタリアより、旅情と一緒に楽しめるよう選びました。もちろんバチカン市国も入っています。
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ミラノの代名詞ともいわれる有名で壮大なゴシック様式の大聖堂です。108.5メートルの高さと奥行157メートル、面積は1万1700平方メートルの大きさで、135本の小尖塔があります。頂きにはマドンニーナと呼ばれる聖母をいただいています。光によっては紫やピンク色に見える大理石で覆われ、2245体の彫刻から繊細さを併せ持つ建築物です。歴史は1386年ミラノの領主ヴィスコンティ家のジャン・ガレアッツオの「ローマのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ大聖堂を建築する。」というビジョンのもとに着工。度重なる戦争の影響で幾度も中断されながらも、ナポレオンの命により、1813年に完成しました。そのファサードを飾る5枚のブロンズ製の扉は20世紀に造られ、各々テーマがあり、ミラノ勅命、聖アンブロージョの生涯、聖母マリアの生涯、ミラノの中世の歴史、ドゥオーモの歴史となっています。内部は堂々としたアーチに支えられ、新約聖書、旧約聖書、黙示録の場面が大きく描かれたステンドグラスが飾られています。神秘的で荘厳な雰囲気を醸し出しており、ミサのある朝は特におすすめです。
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ドゥオーモ広場とスカラ座を結ぶアーケドを次に紹介します。ミラノ観光でショッピングやカフェでランチをいただける有名な場所ですが、1865年から12年もの歳月をかけて建築された歴史があります。鉄とガラスが産業革命後建築を構成してゆきますが、イタリアでのその創成期に当たる時期に建築されました。パリのエッフェル塔と同じような時代背景です。新バロック様式と新ルネッサンス様式が混じりあった建造物で、カフェでゆっくりビールとピザをいただきながら眺めたりスケッチをするのも良いと思います。
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フィレンツェの観光ポスターやパンフレットにのほとんどに使われる有名なサンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂を紹介します。ルネッサンスは200年ほどの間、南イタリアやトスカーナ地域で芽生える準備をされていましたが、誕生したのはフィレンツェです。その基礎を固めたのが、フィリッポ・ブルネッレスキという人物で、彼が手掛けた建築から選びました。実は1418年、ブルネッレスキがかなり前から設計したドームの模型を提出したのですが、技術上の問題で、その空間を創ることは容易ではありませんでした。その半円筒状の飾り後陣と採光塔が完成したのは彼の死後であり、ディテールは彼の理念に合致していないと言われています。
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ローマ帝政時代の闘技場として有名なコロッセオを紹介します。約4万5千にんを収容したと言われ、楕円形の平面や壇上の観客席は、今日のスタジアムの設計につながるものです。48メートルを超える外壁は4層に分かれ、階によって外壁の材料や様式に変化を与えています。また、内部の地下部が露出しており、人力式の昇降機が組み込まれていた痕跡も見れます。ライオンなどの動物を競技場内に運んだと伝わっています。ルネッサンス期以降は石切り場となり、その石材は周辺の建造物にも転用されていたと言う歴史があります。
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世界史の教科書のほとんどに、古代ローマの時代のページにフォロ・ロマーノの写真が用いられているほど有名な建築物です。広場、政治、祭礼、商業のための施設から構成されています。長い年月をかけて発展したため、平面的な計画ではなく、まばらな配置となっています。しかし、広場を中心とする形態はその後のローマの植民地の範型となっています。西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられた状態です。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ee/RomaPortaPiaFacciataInterna.jpg/1280px-RomaPortaPiaFacciataInterna.jpg
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ルネッサンスの建築家としてミケランジェロは多くの建築物を残しています。ミケランジェロの彫刻ダヴィデ像はあまりにも有名ですが、ローマのポルタ・ピアという都市門は彼の作品です。一般的に外側のファサードが重視される門ですが、この門はその関係が逆転しています。意匠の特徴は中央部が切断された破風ブローックン・ペディメントと呼ばれる手法をミケランジェロは好んで用いたと伝わっています。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/50/0_Basilique_Saint-Pierre_-_Rome_%281%29.JPG/1280px-0_Basilique_Saint-Pierre_-_Rome_%281%29.JPG
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世界の安藤忠雄が、若き日見た建築で感銘を受けたのがこのサン・ピエトロ大聖堂です。現在の聖堂は1506年に着工され、幾度も設計変更され1612年にファサードが完成しました。歴史は古く、聖ペテロの墓に建てられたローマカトリックの総本山で、319年コンスタンチヌス大帝によって建設されたバシリア大聖堂が1506年改装にため取り壊されて現在の姿となっています。内部にはミケランジェロのピエタ像があります。
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ヴェネツィアの象徴として有名なサンマルコ大聖堂を紹介します。ヴェネツィアの守護聖人であるマルコの遺体を神としてまつるため、9世紀に建てられました。聖マルコはキリストの福音書の4人の著者のひとりです。長い歴史の中で火災にあい、11世紀と17世紀に二度大改装され、やや東洋的なイメージになったと評価されています。なお、入場にはドレスコードがあり、ノースリーブ、ミニスカート、短パンはNGです。
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引用: http://arakakiryugo.com/wp/wp-content/uploads/2016/07/IMG_5181.jpg
ヴェネツィアのサンマルコ広場の対岸にあるドルソドーロ島、その島の先端部にあるプラタ・デラ・ドガーナ。15世紀から建つ海の税関を現代美術館に改装するプロジェクトを安藤忠雄は受けました。この偉大な歴史的建造物に対し安藤が考えたのは、すべてを建築当初の形に戻し、時間をつなぐ場所をつくり、その時間を未来へとつなぐ空間を中央に挿入することです。安藤の作品のイメージはコンクリート打ちっぱなしですが、そのイメージよりも、彼の発想力のすごさに感銘します。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Matera_boenisch_nov_2005.jpg/1024px-Matera_boenisch_nov_2005.jpg
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南イタリアのプーリア州は青い空と白い建物の迷宮として最近注目されている地域ですが、そのプーリアから続くバジーリカータ州にマテーラはあります。人間が生み出した奇観、洞窟と峡谷の町がマテーラのキャッチコピーです。しかし、以前マテーラはとても貧困な町で衛生状態も悪く、岩場に造られた居住地をサッシと呼びますが、サッシには国の恥という刻印が押され、1952年特別法によりサッシ住民すべてに立ち退きを通知することになった。その後見事に復活し世界遺産に登録された。南イタリアのアドリア海とイオニア海に面したプーリアの旅と合わせて、マテーラを訪れてはいかがですか。
歴史的な大建造物から、その建造物を大改装した日本の安藤忠雄の作品、イタリアの恥とまで言われた貧困な居住空間まで、象徴的な建物、有名な建物を紹介してきました。建築物を見る事を主眼にヨーロッパを訪れる際にはバロックやゴシック、ルネッサンスと言った様式の情報を得て、建物や彫刻、絵画を合わせて見ることをおすすめします。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://architecture-tour.com/world/italy/colosseo/image1.jpg