// FourM
Qut1dhukks5p7njg6tif

岐阜

CATEGORY | 岐阜

【2019年版】古い街並みが懐かしい!岐阜県中津川の観光ポイントは?

2024.02.25

岐阜県東南部に位置する中津川市は、恵那山の裾野に広がる豊かな自然に囲まれて、江戸時代より中山道の宿場町として栄えた歴史と文化の街です。ここでは、岐阜県中津川市に残る古い街並みを中心に、見逃すことの出来ない観光スポットを厳選してご紹介します。

  1. 岐阜県「中津川市」について
  2. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット①:【 苗木城跡 】
  3. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット②:【 中津川宿 】
  4. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット③:【 馬籠宿 】
  5. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット④:【 藤村記念館 】
  6. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット⑤:【 大黒屋茶坊 】
  7. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット⑥:【 落合宿 】
  8. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット⑦:【 落合の石畳 】
  9. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット⑧:【 加子母大杉・大杉地蔵尊 】
  10. 岐阜県「中津川市」・古い街並み観光スポット⑨:【 中山道歴史資料館 】
  11. 【 最 後 に 】
引用: http://suumo.jp/journal/wp/wp-content/uploads/2014/01/0100_nakatsugawa.jpg
岐阜県南東部に位置する中津川市(なかつがわし)は、長野県に隣接し、東国側の木曽路と西国側の美濃路の分岐点に当たり、古くから中山道の宿場町として栄えました。街道沿いには、当時の面影を偲ぶことが出来る建物が数多く残されています。苗木地区には、東濃を支配した遠山氏の居城跡(苗木城跡)が残されていて、町全体が歴史情緒にあふれています。また、日本画の大家、前田青邨の作品を展示する「青邨記念館」、「苗木遠山資料館」などの文化施設もあります。市中央に木曽川が東西に流れ、日本百名山の一つ恵那山裾野に広がる豊かな自然との触れ合いを楽しむことも出来ます。

【 詳細情報 】

引用: https://www.kankou-gifu.jp/image.php?w=800&h=540&f=/db_img/cl_img/4216/B3CF5B90699896617A62221B0812F316.JPG
「苗木城」は、1526(大永6)年、この地帯を拠点としていた遠山氏によって築城されました。木曽川右岸の城山(標高432m)に築かれ、木曽川を堀として、露出する巨大な石を礎石に利用した天然の要塞です。「続日本100名城」にも選ばれ、1981年4月、国の史跡として指定されています。一番の見所は、天然の巨岩を巧みに利用した石積みです。天守跡に設けられた展望台からは中津川市街を全貌することができるビュースポットです。また、苗木城跡は霧が立ち込めることが多く、別名「霞ヶ城」・「天空の城」と呼ばれます。展望台に立つと、戦国武将のロマンを感じることが出来るでしょう。2017年には約8万人もの観光客が訪れています。
引用: https://news.arukikata.co.jp/file_img/18062111122697814.9..jpg
引用: http://img-cdn.guide.travel.co.jp/article/354/29447/3D1662264C9847B3AEFC044F49D55FD2_LL.jpg

【 詳細情報 】

引用: https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/0e/2b/61/d6/caption.jpg
中津川市は旧中山道(なかせんどう)の要衝として3つの宿場町がありました。その一つの「中津川宿」は、江戸から45番目の宿場町でした。旅籠屋は30軒もあり、町並みは1000mにわたって続き、東濃随一の規模を誇っていました。現在NTTがある辺りに大名通行などに使われた「脇本陣」(旧森家)の建物の一部が残されています(写真・下)。「上段の間」と「土蔵」が公開され、当時の宿場の様子を伝えています。その西寄りに「本陣」があり、本陣跡の斜め向かいの「うだつの上がる家」は、裕福であった旅籠屋の財力を現しています。中津川宿は、江戸時代の風情をたっぷりと楽しませてくれる懐かしい町です。
引用: https://nakatsugawa.town/wp-content/uploads/2018/08/IMG_1869-800x560.jpg

【 詳細情報 】

引用: https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=938x10000:format=jpg/path/s08e2ef4e2044f5be/image/i6d3fe274d1d8134a/version/1542208386/image.jpg
「馬籠宿」(まごめじゅく)は、中山道・木曽11宿のうち一番南にあたり、江戸から43番目の宿場町として栄えました。入口から100mほど進むと坂道があり、脇にある大きな水車(写真下・上)は人気の撮影スポットになっています。そこから高札場跡まで石畳の坂道が約500m続き、両側に宿場の家並みが続いています。坂道の高低差が作り出す周囲の景観が美しく、途中に「藤村記念館」があります。紅葉の時期にはライトアップされ、古い町並みと調和して、情緒豊かな風景が楽しめます。近年、長野県南木曽町にある「妻籠宿」を結ぶ「妻籠・馬籠ハイク」の人気が高まっています。
引用: https://www.kankou-gifu.jp/image.php?w=800&h=540&f=/db_img/cl_img/1363/D877BEEBD21095B3D0D1D9CEF729B970.JPG
引用: http://www.kiso-magome.com/images/h1.jpg

【 詳細情報 】

引用: http://gazoo.com/my/sites/0001470013/takanish/DocLib/20071104_0_DSC03681.JPG
近代日本を代表する詩人、小説家の島崎藤村は、信州木曽の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)で生まれました。生家は馬籠宿の本陣でしたが、1895年の大火で消失、その本陣跡に1947年に建てられたのが「藤村記念館」です。1955年には「島崎藤村宅跡」として県の史跡に指定されました。館内敷地には、記念堂、藤村祖父母の隠居所(写真下)、記念文庫(研究室)、第二文庫、 第三文庫があり、『嵐』『夜明け前』などの作品原稿、遺愛品、資料コレクション約6千点が所蔵されています。隠居所2階右角には、藤村少年時代の勉強部屋があります。常設展示室には、 終焉の地、神奈川県大磯町の書斎が復元され、藤村の生涯をたどることが出来ます。馬籠の古道で、歴史の旅に添えて文学の世界を味わうのも素敵な思い出になるでしょう。
引用: http://gazoo.com/my/sites/0001470013/takanish/DocLib/20071104_0_DSC03600.JPG

【 詳細情報 】

引用: https://takabon_blog.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_54f/takabon_blog/P4168096088.jpg
「大黒屋茶房」(だいこくやさぼう)は、藤村記念館のすぐ隣りにある食事・喫茶処です。藤村の初恋の女性、おゆうの生家で、かっては造り酒屋でした。古い歴史を漂わせる馬籠宿屈指の老舗です。名物の「栗こわめし」は、藤村の小説『夜明け前』にも登場する逸品です。店内には、木曽漆器・陶器・和風小物などが展示され、販売商品もあります。旅籠街道を歩きながら、途中一休みして、名物の「栗きんとん」を一服の抹茶で頂くと旅の疲れも癒やされるでしょう。抹茶の渋みと栗きんとんの甘みがマッチした絶妙の味は、馬籠の思い出の味になるでしょう。
引用: https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/20713/640x640_rect_20713227.jpg
引用: https://cdn.jalan.jp/jalan/img/0/kuchikomi/1200/KL/5ec2f_0001200402_1.jpg

【 詳細情報 】

引用: https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_pict/15/77/85/650x_15778532.jpg?updated_at=1415693443
「落合宿」(おちあいじゅく)は、江戸から44番目の宿場町で、中山道美濃路の最後の宿場町でした。本陣は江戸時代に焼けましたが、その後再建され、中山道ぎふ17宿の中で唯一本陣(写真下・上)が残っています。人目を引く立派な門や土蔵造りの母屋、向かいにある脇本陣は、当時の面影をそのまま残しています。JR中央本線「落合川」駅から徒歩約23分の所に「落合吾郎城跡」(写真下・下)があります。木曽義仲の重臣、木曽四天王の一人とされる落合五郎兼行の居城と伝えられています。現在城址は「おがらん公園」として整備され、地元からは「おがらん様」と呼ばれています。
引用: https://info.nihon-kankou.or.jp/dbmente/info/photo/L/21/206/21206ae2182091720001.jpg
引用: https://img.kojodan.com/photo/171290.jpg

【 詳細情報 】

引用: http://abe-sin.com/kesiki/gihu/otiai1.JPG
この石畳の道は、中山道の美濃落合宿から木曽馬籠宿までの坂道の難所「十曲峠」を歩きやすくするために石が並べられたものです。尾張徳川家によって作られたと伝えられています。道幅は約4m、石畳の長さは約840m。大雨から道を守るために、自然のままの濃飛流紋岩が使われています。往時のまま現存する部分は3ヶ所(約70m)しかありませんが、その周辺の部分は、昭和63年から平成7年までに「歴史の道整備事業」にて大修復が行われ、中山道の風情を偲ぶことができるようになりました。ゆっくり歩いて約30分、緑豊かで清涼な空気の中で、歴史のロマンに浸ることが出来るでしょう。
引用: https://gifu-magome.jp/wp-content/uploads/2018/03/o-ishidatami-840x580.jpg

【 詳細情報 】

引用: http://www7a.biglobe.ne.jp/~shimasan/kuni_gifu/P1000499_R1.jpg
岐阜県中津川市小郷、JR下呂駅からバスで約30分の所に、「加子母大杉」(かしもおおすぎ)があります。樹齢千数百年と伝えられ、高さ30.8m、目通り13m、根回り20mもあります。この大杉の皮が家内安全、延命長寿、授子、安産、商売繁盛などのお守りになるとされ、皮が剥がされたため、現在は一般に頒布するようになりました。大正13年、国の天然記念物に指定されました。1194(建久5)年、源頼朝がこの地の近くにあった老朽著しい地蔵堂をこの大杉の下に安置するよう告げたと言われています。行基の作とされる地蔵尊は「大杉地蔵尊」と讃えられ、どのような願いも叶えてくれる「大願主地蔵尊」として人々の信仰を集めています。
引用: https://cdn.jalan.jp/jalan/img/0/kuchikomi/4220/KL/c8243_0004220258_1.JPG

【 詳細情報 】

引用: http://network2010.org/contents/files/kaido/nakasendo/15nakasendo_nakatsugawa36.jpg
岐阜県中津川市本町2丁目、JR中津川駅から徒歩約10分の所に「中津川市中山道歴史資料館」があります。江戸時代、中津川は江戸・京都間を結ぶ中山道の要衝にあり、宿場町として栄えてきました。この資料館では、中津川の歴史を紹介するばかりでなく、中津川宿などから発見された重要な古文書などを収集・保存・展示しています。中津川市の古い街並みを歩きながら、資料館に立ち寄って中津川市の歴史を学ぶと、より充実した旅になることでしょう。
引用: http://network2010.org/contents/files/kaido/nakasendo/15nakasendo_nakatsugawa49.jpg

【 詳細情報 】

以上、「【2019年版】古い街並みが懐かしい!岐阜県中津川の観光ポイントは?」をご紹介しました。いかがでしたか?中津川市は、江戸時代の歴史と文化を偲ばせる観光スポットあふれる街です。豊かな自然に癒やされて、名物の美味しい食べ物をいただきながら、思い出に残る中津川観光を楽しんでください。この記事も参考にしていただけたら幸いです。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=938x10000:format=jpg/path/s08e2ef4e2044f5be/image/i6d3fe274d1d8134a/version/1542208386/image.jpg