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嵐山の竹林完全攻略18【2018年度版】~アクセス方法やライトアップ情報まで~

2018.09.27

京の都・花の都「京都」。京都は日本を代表する観光地で、歴史ある寺社仏閣や世界遺産など見所がいっぱいです!嵐山には竹林の道をはじめとする竹林がたくさんあります。気になる夜のライトアップの時間やアクセス方法と一緒に竹林や嵐山周辺のお寺もご紹介いたします。

  1. 京都
  2. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット1 「嵐山」
  3. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット2 「渡月橋」
  4. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット3 「大河内山荘」
  5. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット4 「天龍寺」
  6. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット5 「野宮神社」
  7. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット6 「二尊院」
  8. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット7 「法輪寺」
  9. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット8 「鈴虫寺」
  10. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット9 「桂離宮」
  11. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット10 「亀山公園」
  12. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット11 「松尾大社」
  13. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット12 「大悲閣千光寺」
  14. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット13 「西芳寺」
  15. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット14 「清涼寺」
  16. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット15 「落柿舎」
  17. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット16 「遍照寺」
  18. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット17 「小倉山」
  19. 嵐山の竹林!夜のライトアップの時間やアクセス方法、周辺スポット18 「祇王寺」
  20. まとめ
「千年の都」、「日本人の心のふるさと」とも言われる京都は、街中に多くの世界遺産があり、文化都市ときて、また国際観光都市として世界中に知られている場所です。京都を訪れる観光客は、年間5千万人にものぼり、国内はもとより世界各国から多くの人が訪れています。太平洋戦争の被害をほとんど受けなかった京都には、数多くの文化的遺産や古い街並みが当時のまま残り、京都市内には、二千あまりの自社仏閣があり、日本の国宝の20%、重要文化財の40%が京都に集まっています。

京都の世遺産

歴史の古い京都には、貴重な文化財が数多く残されており、美術・工芸・建造物など2000点以上が国の重要文化財に指定されています。その中の200点が国宝となっています。 京都の世界文化遺産は、清水寺・仁和寺・平等院・下鴨神社・上賀茂神社・東寺・龍安寺・金閣寺・西芳寺・銀閣寺・天龍寺・醍醐寺・西本願寺・高山寺・宇治上神社・延暦寺・二条城。 二条城以外は皆、自社仏閣で、平等院と宇治上神社以外は全て京都市内にあります。
桂川の右岸にある京都市西京区の「嵐山」。京都でも人気の観光スポットです。嵐山は昔から名勝地として人々から愛されてきた場所です。北にそびえる小倉山とは桂川を隔てて、標高382メートルの嵐山という山がそびえており、その山の山麓周辺を「嵐山」と呼ぶようになりました。「花の嵐山」とも言われ、春には桜の名勝、夏には船遊び、秋には紅葉で彩られ、冬には雪景色が美しい場所です。山と水の織りなす四季それぞれの赴きは、たくさんの詩や歌、たくさんの小説や文学作品の舞台にもなってきた所です。
嵐山というと「渡月橋」。渡月橋は、桂川にかかる橋で、嵐山というと渡月橋というように全国にその名を知られている橋です。上皇が、「月が渡る様子は、まるでこの橋のようだ、、、以後、この橋を渡月橋と呼ぼう」とおっしゃられたので、この橋を渡月橋と呼ばれるようになつたという言い伝えがあります。渡月橋の他にも、法輪寺橋や御幸橋とも呼ばれることもあります。現在の渡月橋は昭和9年に立て替えられたもので、橋の上からの眺めは素晴らしく、時代劇などにもたびたび登場しが、桂川北岸の臨川寺の前からの眺めが一番綺麗だと言われています。

三船祭り

天龍寺の西側にある「大河内山荘」。大河内山荘は、あの有名な丹下左膳をはじめ、数々の時代劇に出演した映画スター、大河内伝次郎が30年あまりの歳月をかけて造った別荘です。
約2万平方メートルという広い敷地には、回遊式庭園となっており、松や苔の緑が美しく、展望台もあり、その展望台からは京都市街が一望でき、眼下には桂川の流れも望むことができ、ビュースポットにもなっています。敷地内には多くの建物があり、そのほとんどが国の登録有形文化財に指定されています。大河内伝次郎が別荘として使用していたころは、片岡千恵蔵や京マチ子、山田五十鈴といった共演者が招かれていたそうです。現在は有料で一般公開しており、そこで抹茶や和スイーツを頂くことができます。
歴史に名高い「天龍寺」。世界遺産にもなっている天龍寺は、足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るために創建した臨済宗天龍寺派の大本山です。かつても亀山天皇の離宮であった場所に建てられたものです。足利将軍の壮大な支援を受け、広大な寺域と多数の子院があり、京都五山第一位の格式を誇っていました。何度も火災にあい、段々と縮小してしまいましたが、創建された当時は、今の境内の広さの10倍はあったといわれています。
このお寺は庭園が美しいことでも知られており、地泉回遊式て家湯で、池のまわりには自然石や滝があり見事な庭園です。建物は新しいですが、開山の夢窓疎石の作による庭園は「槽源池庭園」と呼ばれ、昭和30年5月に国の史跡・特別名所として一番目に指定されました。法堂の天井には日本画家の加山又造による「八方睨みの龍」として評判があり、見所の一つにもなっています。また、天龍寺造営の費用をまかなうため、足利尊氏が特別に船を仕立てて大陸との貿易にあたらせ、その船を「天龍寺船」と呼んだということは、学校の歴史の教科書にも登場する有名なお話です。この貿易事業は、その後の日本経済に大きな貢献を残したということです。また、京都にある南禅寺や大覚寺とともに「湯どうふ」が天龍寺の名物にもなっています。
天龍寺の北側にある野宮神社。縁結びや、子宝、安産にご利益のある神社として知られています。かつて新しい天皇が即位するごとに、天照大神のみつえしろとして伊勢神宮に赴く齋宮に選ばれた皇女が、出発する前に潔斎を行っていた場所と伝えれています。また野宮神社から大河内山荘にかけては美しい竹林が広がり、インスタ映えのスポットとしても大変人気があります。

ライトアップ

毎年こちらの竹林ではライトアップが行われており、嵐山の冬の風物詩となっています。ライトアップは毎年12月に行われています。 12月8日~17日まで、17時~20時30分
嵯峨野は質素で小さなお寺が多い中、嵯峨野では珍しい立派なお寺「二尊院」。二尊院は、薬師如来と阿弥陀如来の二尊をまつることから二尊院と呼ばれるようになりました。正式には小倉山二尊院華台寺というお寺で、天台宗です。平安時代のはじめに、慈覚大師が開いたお寺で、応仁の乱で本堂などが全焼し、現在の建物は、1521年に再建されたものです。境内は、桜と松に覆われており、特に秋の紅葉は境内全体を真っ赤に染め、「紅葉の馬場」とも呼ばれるほど紅葉の名所として知られています。
渡月橋、渡月小橋を渡ると正面にあるお寺が「法輪寺」。法輪寺は「十三詣り」で知られるお寺です。奈良時代のはじめ、行基というお坊さんによって開かれたと伝えられている歴史の古いお寺で、虚空蔵菩薩を本尊としてまつっています。この虚空蔵菩薩は別名「嵯峨虚空蔵」とも呼ばれており、日本三大虚空蔵の1つに数えられています。十三詣りというのは、数え年で13歳になった子供が、知恵を授かり、厄除けのために虚空蔵菩薩様に祈願するのとで、知恵を授かり、どんな難からも逃れられるということで、春になると子供連れの家族で賑わいます。虚空蔵様をお参りして、帰りに渡月橋を渡りますが、その際、橋を渡りきるまでは後ろを振り返ってはいけないことになっています。もし振り返ってしまうと、せっかく授かった知恵を失ってしまうということです。
嵐山にある鈴虫寺。鈴虫寺は、正式には華厳寺というお寺です。華厳寺は、江戸時代の中紀に華厳宗の復興に力をつくした鳳譚上人が創建し、明治の始めに臨済宗に改められました。鈴虫寺は、良縁、開運にご利益があるお寺として人気があり、山門の横には、願い事を1つだけ叶えてくれるという幸福地蔵がたち、さらに、様々な種類の竹林に囲まれた境内奥には美しい庭園が広がり、とても人気があります。鈴虫寺と呼ばれているように、一年中鈴虫の美しい声が聞こえるということで、そうに呼ばれるようになりました。
学校の教科書にものっている有名な「桂離宮」。古くからの景勝の池、観月の名所ときて知られてきまきた。かつては菅原道長も別荘を営んでいたそうです。約2万坪の敷地をもつ桂離宮は日本の建築と庭園美の最高峰と言われている場所です。江戸時代の初めの元和6年に、正親町天皇の皇孫にあたる八条宮家初代・智仁親王が別荘として建てたのが桂離宮のはじまりです。近世における皇族の別荘の実態を今に伝える大変貴重な文化財です。
広大な敷地内には、桂川の水を引き入れた池が広がり、池のほとりには、入母屋造り柿葺きの書院や、新御殿、茶屋などがたくさん点在しています。八条宮家はその後、桂宮家と名前を変えましたが、明治14年に絶え、桂離宮は明治16年に宮内省の管轄となり、さらに太平洋戦争後は宮内庁が管理しています。こちらを見学ふるには宮内庁京都事務所に事前に申し込む必要があります。
中之島公園とと共に「嵐山公園」とも呼ばれますが、園内に亀山天皇の火葬塚があることから一般的に「亀山公園」と呼ばれるようちなりました。四季を通して一年中美しい公園ですが、特に桜のと紅葉の美しい名所として知られています。展望台もあり、そこから見る桂川の眺めがとても美しいです、
渡月橋から南に1キロ程行ったところに「松尾大社」という有名なお社があります。松尾大社は、酒造りの神様として広く信仰をあつめており、拝殿の脇には、全国の酒造会社から奉納された酒樽がうず高く積み上げられています。松尾大社の歴史はとても古く、平安専都よりずっと昔の五世紀頃、渡来人の豪族、泰氏が松尾山の神様ともいわれる大山昨神を氏神ときて松尾山にまつったのがその始まりと言われています。その後、この地方の豪族であった秦忌寸都理が現在の地ち社殿を造営し、山頂から霊を移したということです。平安時代になると賀茂神社とともに京都の守り神として厚く信仰されてきました。
現在の本殿は、室町時代に建てられたもので、屋根が両流造りという特徴的な構造になっており、「松尾造り社殿」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。境内には、宝物館もあり、男神二、女神一の3体の木造の神様が安置されており、わが国の神像彫刻では最も古いもので、国の重要文化財に指定されています。境内には、美しい庭園が広がりわ名庭園家で知られる重森三玲によって完成された見事な庭園です。この庭園は、近代の日本庭園の代表作の1つと言われています。参道の両脇に並ぶ竹林も見事です。
渡月橋から1キロ程上流の桂川の高台には、桂川や高瀬川、さらに遠くの富士川や天竜川などの河川改修や開削工事に功績のあった京都の豪商・角倉了以が、桂川の開削工事で亡くなった人たちとその関係者を弔うために作られたというお寺、「大悲閣千光寺」というお寺があります。了以が隠居所ともしていたお寺で、高台にある本堂からはとっても眺めがよく絶景ポイントにもなっています。しかし、ここに来るまでがとても険しい道で、お寺への入り口には。「花の山 二丁上れば 大悲閣」という松尾芭蕉の句碑がたてられています。
苔で有名な「西芳寺」。120種類程の見事な緑の苔に覆われていて、国の特別名勝・史跡に指定されています。苔で有名なので、西芳寺ではなく苔寺という名前で全国に知られています。お寺の前には、清らかな西芳寺川が流れ、苔が育つのにとてもいい環境にあるため、美しい苔がたくさん自生しています。言い伝えによると、聖徳太子の別荘であったもので、奈良時代に行基というお坊さんがお寺にしたと言われています。
嵯峨釈迦堂と呼ばれる「清涼寺」。清涼寺は浄土宗のお寺で、源氏物語の主人公・光源氏のモデルとされた源融の山荘跡に、阿弥陀堂を建てたのがはじまりです。
昔から「遍通念仏」の道場として知られてきたお寺で、現在でも、春と秋には「嵯峨大念仏狂言」が盛大に行われています。文化財が多いお寺としても知られ、本尊の木造釈迦如来をはじめ、木造阿弥陀三尊など16が国宝に指定されており、その他仏像や絵巻など国の重要文化財に指定されています。
嵯峨野らしいこじんまりとした質素な庵は、向井去来が結んだ庵です。その跡地に明和7年、俳人の井上重厚が去来を偲んで建てたものです。
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引用: https://www.butsuzoutanbou.org/ホーム/京都市/遍照寺-京都市/
嵯峨野の中でも一番嵯峨野らしいと言われる広沢池と遍照寺。広沢池は、月の名所として知られており、別名「観月の池」とも呼ばれています。鎌倉時代の歌人・藤原為家もその見事な名月にいくつかの名句を残しています。その池近くには、遍照寺というお寺があり、立派なお堂がいくつも建っています。
嵯峨野の西のはずれには、小倉百人一首にその名前が残る「小倉山」があります。小倉山の標高は296メートル。桂川の北岸にそびえています。小倉山の東側は、昔から貴族達の別荘地として、また隠妻の地として知られてきました。山の形が亀に似ていることから別名「亀山」とも呼ばれています。
東側の山麓一帯は、竹林が広がり、落柿舎や、二尊院、天竜寺など歴史に名高い寺社がたくさんあり、京都を代表する観光地の1つになっています。小倉山というと「小倉百人一首」。鎌倉時代初期の歌人として有名な藤原定家が、古代から鎌倉時代初期にかけての百人一首の歌人から一首ずつ、計百首の歌を選び、小倉山の山麓にあった自分の別荘の障子にはった色紙に書いたことから小倉百人一首と呼ばれるようになりました。
民家のような質素な造りのお寺「祇王寺」。悲劇のヒロインとして歴史に名高い、白拍子・祇王ゆかりのお寺です。現在このお寺は、真言宗大覚寺派に属する尼寺になっています。
平清盛の篭愛を一身に集めていた白拍子の祇王が、後から現れた仏御前に、清盛の愛を奪われ、失意の中で、母の刀自、妹の祇女とともに往生院の中に庵を結んで移り住んだというのがその始まりです。仏御前は、自ら出家し、祇王の庵を訪れ、女4人でつつましく仲良く暮らしていたと伝えられています。質素な本堂には、愛憎を超えた4人と平清盛の木造が安直されており、竹林と楓に覆われた境内には、清盛の供養塔もたっています。
嵐山の竹林はいかがだったでしょうか?竹林とその周辺にある見所を合わせてご紹介致しました。こちらを参考にお好みの場所を見つけてみてください♪
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: myway.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2014/06/05/0c6a4948.jpg