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日光の和楽踊り完全攻略【2018年度版】~イベント情報まで~

2024.02.25

大昔から栃木県に伝わっていた盆踊りかと思うほど、洗練され、馴染みやすい歌詞と踊りが展開される日光和楽踊り。そのユニークな歴史、歌詞など現在までを見つつ、日光の大イベント、和楽踊りの日程や開催場所、会場までのアクセス、駐車場などを紹介してまいります。

  1. 日光の和楽踊り完全攻略!その歴史も歌詞も:①エッ?和楽踊りって
  2. 日光の和楽踊り完全攻略!その歴史も歌詞も:②生い立ち誕生秘話
  3. 日光の和楽踊り完全攻略!その歴史も歌詞も:③踊りの中核とその変遷
  4. 日光の和楽踊り完全攻略!その歴史も歌詞も:④踊りの歌詞とその変遷
  5. 日光の和楽踊り完全攻略!その歴史も歌詞も:⑤いつ?何処で?どうやっていくの?
  6. まとめ
会場にサイレンが鳴り響くと、一斉にLEDライトなどの電飾が華々しく点灯され、拍手が巻き起こります。大きな円を描いた幾重にも重なった踊り手たちが一斉に踊り始め、いくつかの趣向の後、おもむろにその囃子の速度が上がり、観客も踊り手も頂点に達して、どっと拍手がおこり終了、日光和楽踊りの一部始終です。
日光の夏の風物詩「日光和楽踊り」は今で言う、盆踊りの形態ですが、その歴史はたいへんユニークで、なお且つ自然発生的に生まれた日光ならではの踊りということがいえます。所は古川電光日光事業所、明治近代を支えて来た老舗の非鉄金属メーカーの世界的な会社です。その工場の一角を開放して、夏のイベント、日光和楽踊りは開催されます。
殖産興業、富国強兵の大号令のもと、日光に古河鉱業の一部門として日光電気精銅所が設立されます。この地には明治後半から大正天皇のご静養地として「日光田母沢御用邸」があり天皇家とのゆかりのある場所でもあります、大正2年(1913年)9月6日、天皇が工場を訪れる僥倖の誉を得ることに。
喜びと緊張の中で、天皇の訪問を無事終えた会社は、社員一同を集め、その労をねぎらい祝宴を開きますが、感極まった人たちから、自然発生的に「躍ろうか」という声が起こり、その踊りが日光の夏のイベント、和楽踊り誕生の瞬間とされます。
「和楽踊り」という名前は、日光電気精銅所精神のうち、「共同和楽の精神」を取り入れ、この時代、いまでいう盆踊りが性の紊乱を招くという風紀上の問題により厳しい規制を受けていたこともあり、盆踊りとは一線を画す「記念祭」としての踊りにしたという、会社側に強い信念があったようです。和楽踊りは徐々に、地域に浸透して脈々と現在に受け継がれます。
工場での年間行事を集約して和楽踊りを中心にすることで、さらに洗練され、知名度も上がっていきます。和楽踊りには、手踊り、笠踊り、石投げ踊り、があり、これを「正調和楽踊り」として出発しますが、時代が変わり、若い人たちの感覚とはずれも生じてきて、ポップでリズミカルなものに編曲された踊りが主流になっていきます。
当日は、和楽踊りの開始時間午後7時前になると、社員やその家族、観光客が会場に集合し、電飾の「点灯式」が行われ、踊りは深夜まで続き、最盛期には3日間も続いたそうです。
初期の和楽踊りは、その歌詞もたいへん日本的でした。代表的な歌詞を取り上げてみます。たいへん日本的で民謡風でもあり、今の盆踊りの雰囲気も色濃く残っています。和楽踊りの生い立ちからして、卑俗な詩、風俗を乱すような詩はありません。
「丹勢山から精銅所を見れば、銅(かね)積む電車が出入りする」「 日光よいとこお宮と滝の、中は和楽の精銅所」「一目見せたや故郷の親に和楽踊りのこの姿」 「池に映した踊りの姿 どれが妻やら娘やら」「笠は花笠くるりとまわしや かさのかげから主の顔」といった歌詞ですね。集団就職の影があったり、東照宮を持つ町の矜持もうかがえます。
和楽踊りは、今では多くの市民が参加する真夏の風物詩となりました。開催日は、毎年8月第1週の金曜日。午後7寺、サイレンの音と供に始まり10時にキッチリ終る。なんとも踊り誕生の精神が生きているようです。和楽踊りの会場である「古河電工日光営業所」までは、当日、臨時無料バスがJR日光駅から運行され、帰りも10時まで運行されます。クルマで行く場合の駐車場については、会場付近の運駐車場の他、臨時駐車場が会場から徒歩5分ほどに作られます。次の開催は来年の夏ですが、今年の概略を載せておきますね。
〈開催概要2018年〉
「日光和楽踊り」の今と昔。様々な縁が町を代表するお祭りにしていきます。次の夏は電飾に彩られた会場に足を運んでみてはいかがでしょうか。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: http://www.tmyun.com/mid/yun_1224.jpg